僕はわりと何かを論じるときに「中立」とか「中道」というのをあまり信用してなくて、「賛成」と「反対」と「判断できるほどの情報がないので今は態度保留」の人は信用するけど「中立」というのはどうなの?と思うことが多い。
けれども、両極端な意見だけに偏ってることよって対話が進まずに分断が進むのは好ましくない状況なので、対話できる環境は必要だよね、というのが僕の問題意識。
一方でアリストテレスが「中庸」の大切さについて語っていて、両極端になるのは必ずしも明確な知性によるものとは限らず、無知だからこそ偏った意見に固執する、というようなことを言ってて、これはこれでなるほどと思った。